KVC Tokyo  やり直し硬派英語塾

英語長文読解 短期集中 個別指導 

                             




塾長コラム記事




英語塾開設のご挨拶

2019年4月1日
















 塾長のコラム (随時掲載版) 

2019年4月〜6月分 (テキストのみ)




*時系列でそのまま上に追記しています。 

*PCサイトの、塾長コラム一覧リストより、フルバージョンの記事にアクセス出来ます。どうぞご覧ください。

* ソフトのバグに拠り、単語同士がくっついてしまう問題が発生しています。フルバージョンの記事をご参照ください。








主語の概念 B 膠着語と屈折語U



2019年6月20日

皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。

前回に続きます。


日本語の文章構造:超初心者向けガイド(塾長和訳)

文章構造の英語 vs.日本語

 殆どの方は、日本語は文章構造が難しくて頭がこんごらがるものだと知るようになるでしょう。日本語が他の言語とは根本的に違っていることを考えれば全くもって理解できることです。ですが、日本語の文法は正しい視点からみれば実際には信じられないほど論理的なのが真実なんです。

  一般的には日本語の基本構造はSOV だと考えられていますね。主語−目的語−述語の順です(例:ワタシ−スシ−タベル)。この記述法は、SVO 構造に従う英語と比較するのを容易にします。しかし本当は、この2つの言語は全く異なる遣り方で機能するものゆえ、この様な比較は殆ど意味がありません。SOV のレッテルを貼るのも時には誤りで、と言うのは、主語Sの前に目的語Oが現れるのは日本語では全然稀では無いからです。うぅ〜ん、マジでますます混乱してきた・・・。

 日本語の形をした杭を英語の形の穴に無理に当てはめようとするのは止めて、もう一度考えてみましょう。

 最初に、英語では、文章の主要なカケラは決まった順序に置かれます。何か動作を行おうとする人(主語、例:I、ワタシ)が最初に来て、その動作を記述する言葉(述語、例:eat タベル)、更にその動作が為されるもの(目的語、例:スシ)が続きます。英語では誰が何をしたのかを述べるのは語順なのです。日本語の文章は助詞と呼ばれる文法マーカーが縁取って構成されます。各助詞は、その前に並ぶ単語が文中でどの単語−たいていは動詞−に対してどの様に関与するのかを示すのです。動詞は文末に現れますが、各単語の順序は、誰が何をしたのかを述べるのは、語順では無く助詞であるが故に、変動可能です。例えば、文章内容が話題を採り上げる場合(これはしばしば主語に等しい)は「は」が続き、目的語には「を」が、そして最後に動詞が続くのです。基本的な語順ゆえに日本語はSOV言語だとしばしば考えられますが、単語に適切に助詞を組み合われば単語の実際の順序は変えて構わないのです。


 語順で言語を把握する方法論が、日本語では当てはまらない、別の概念で捉えれば、日本語は合理的な言語体系であって、基本構造はいとも簡単に理解ができる、との簡潔明快で優れた指摘です。

 日本語が膠着語であることを考えると、動作主体や話題提示に関しても、それらが動詞(述語)を取り巻く修飾的概念の中の対等な要素に過ぎないことが理解できます。これは常に<動作主体+述語>の組み合わせを確たる配列のコアとして、物事を把握して世界認識を行う言語体系とは丸で違った認識で世界を捉えていることに他なりません。ある意味、「動作内容、物事の状態」を記述する概念がメインの言語とも言えそうです。「あぁ、静かだ」と言えば、何が静かなのかはさておいて、自分の周りが静かであることをまず感じ取り、第一に叙述する意識ですね。繰り返しますが、動作主体、即ち欧米語の主語相当語は、日本語では動詞(述語)を取り巻く要素の1つに過ぎない訳です。

 日本人はどれが動作の主体主語或いは話題として採り上げる主題主語かを弁別する意識薄く (だから主語に関する論争が起きたまま!)、逆に欧米語に翻訳する過程でそれらが明確に浮かび上がるところもありますね。

 例えば前々回の@にて例示した文章 「太郎には 才能がある。」 ですが、太郎と才能のいずれかを主体主語扱いにして英語、即ち動作の主体に「拘る」言語の1つにて表現すれば、


 As to Taro, a great talent is noticiable/ recognized. 太郎に関しては、才能が認められる。


 Taro is endowed with a great talent. 太郎は才能をもって生まれた。


 と言うところでしょうか。全然別の言語体系に接し、その言語体系の元で元の概念を把握し直すと、元の概念を明確化させて捉えることも出来ます。これが日本人が欧米語を学習することの最大の利点かもしれません。

 日本語が欧米語の様な主語・主体優勢言語とは明確に異なるものであることは確かであり、英語に苦手意識を持つ日本人が多いのも、この様な本質的な言語表現法、そしてそれを裏で支える発想法の大きな違いが作用していそうに見えます。ちょっと大仰に言えば脳機能の違いですね。脳内変換がその都度必要な訳です。単に語順が違っていて配列し直せば済むような問題ではありません。

  だいぶ前の話になりますが、塾長が初めて英語に触れた中学1年生の時に、どうして英語はいちいち主語を明記する、なんと面倒臭くてくどい言葉なのだろうと感じていたことを思い出しました。教員が欧米語と日本語の主語概念の違いを説明してくれていたら、英語学習にまつわるこの様なもどかしさも幾ばくかは軽減されていたろうにと思います。









主語の概念 A 膠着語と屈折語T



2019年6月15日

皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。

 言語形態論では、日本語は膠着語 agglutinative language、一方インドヨーロッパ語族に含まれる欧米語は屈折語 inflected langage に分類されます。皆さんはこれらの専門用語を耳にしたことがあるかもしれませんが、厳めしい語感が感じられ逃げ出したくなった方もいるだろうと想像します。膠着とはニカワ(動物の骨や蹄、皮を煮詰めて作る糊)で貼り付けるとの意味ですが、日本語だと膠着状態の熟語もあり語感が良くありません。単語なる<部品>同士が糊でくっつく程度の軽い意味として、例えば<接着言語>などに改称したらどうでしょうか?まぁ、各々独立した単語に、<てにをは>を糊として使って動詞などの叙述語などに<貼り合わせる>ことで意味表現化する言語ですね。一方屈折は、何も言葉がジグザグ凸凹に折れ曲がる訳では無く、活用するとの意味ですので、誤解を招くと言うか意味不明な屈折の日本語訳は止め、只の活用言語と呼べば宜しい様にも思います。単語がゴムの棒であれば、手で握りしめた基部(語幹)は変化せずとも、その先(活用語尾)が左に右にとブレて折れ曲がる、との連想から西洋ではこの語を当てたのかも知れません。こっちは、単語(多くはその語尾)が活用することで意味表現を行う言語です。<てにをは>自体を単語の中に含む言語体系と考えれば良いでしょう。fusional langage (融合言語とでも訳しますか)との別名もありますが、<てにをは>を取り込んで単語が融合したとの意味ですね。但し、これら膠着語、屈折語の区別は厳密なものではありません。実際、英語自体は動詞活用が単純化すると共に前置詞(一種の<てにをは>)使用の比重が高まり、膠着語化の程度が進んで来ているのは確かに感じます。インドヨーロッパ語族で有りながらも、活用を簡略化し、膠着語の性質を纏うことで、事実上の共通語として普及したとも言えそうです。とは言っても英語を第一言語とする話者圏自体は英国本国並びにその旧植民地に留まってはいますが。

 余談ですが、フィンランドのバルト海を挟んでの対岸にあるエストニアでは、フィンランド語と同じ膠着語とされるエストニア語(フィンランド語に近い)が話されますが、ドイツ語などの影響で、次第に屈折語化が進行しているとのことです。言語交替(げんごこうたい)の1例ですが、英語とは真逆の進化方向ですね。


 面白い記事がみつかりましたのでご紹介しましょう。英語話者向けに日本語の特徴を説明するものですが、大変優れた内容だと思います。


https://8020japanese.com/japanese-sentence-structure/

Japanese Sentence Structure: The Ultimate Beginner’s Guide


English vs Japanese sentence structure


Most people find Japanese sentence structure to be difficult and confusing.

This is completely understandable considering how fundamentally different it is to other languages, but the truth is that Japanese grammar isactually incredibly logical ? it just needs to be looked at from the right angle.


Usually, the basic structure of Japanese sentences is considered to be SOV ? subject-object-verb (eg. I sushi eat). This description makes iteasier to compare with English, for example, which follows an SVO structure, but the truth is, this comparison is mostly meaningless because thetwo languages function in completely different ways. The SOV label is also wrong sometimes, as it is not uncommon in Japanese to see sentenceswith the object appearing before the subject. No wonder it seems so confusing…


Instead of trying to fit a Japanese-shaped peg into an English-shaped hole, let’s start again.


Firstly, in English, the main pieces of a sentence go in a specific order. The person doing the action (the subject, eg. I) is first, followed by theword that describes the action (the verb, eg. eat), then the thing that the action is done to (the object, eg. sushi). In English, it is the word orderthat tells us who did what.

Japanese sentences are structured around grammatical markers called ‘particles’. Each particle indicates how the word before it relates to otherwords in the sentence, usually to the verb. The verb appears last, but the order of the other words can vary because it is the particles, not wordorder, that tell us who did what.


For example, a basic sentence might have a topic (which is often the same as the subject) followed by the particle ‘wa’, then an object with theparticle ‘wo’, and finally the verb. This basic word ordering is why Japanese is often considered an SOV language, but as long as the rightparticles are used with the right words, the actual order of the words can be changed.


(和訳は次回Bに続く)


 日本語話者の一人である塾長からすると、助詞なる便利な接着剤で単語(活用型が少ない)同士を貼り合わせて意思表示を行う日本語の方がラクな様に感じます。まぁ、日本語学習はひらがなとカタカナの世界に留まる限りでは易しい模様ですが、漢字習得の面となると欧米語話者の前には一気に壁が立ちふさがりますね。









主語の概念 @ 概論



2019年6月10日

皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。

 ラテン語の動詞には厳格な格変化があり、活用語尾で主語、主体が誰、何であるのかが判別できます。従って主語を表す言葉 (人称代名詞)を別添えする必要性はありません。しかし俗ラテン語であるフランス語は動詞以外に更に独立した、<私、お前、あなた、あなたたち、彼、彼女、彼ら> などの主語を文の先頭に添えます。これは活用語尾を旧仮名遣いの様に遺しては居ても、発音が同じになる語がある為、耳で聞いた場合に区別が出来ず、別個の主語が必要とされるからなのでしょう。更には英語からの色濃い影響もあるのかもしれません。同じ俗ラテン語であるスペイン語やイタリア語では人称代名詞は必要とはされません。英語の場合は、動詞は基本的に、動詞単独では、主語が 私、あなた、彼、彼らのどれなのか完全に区別することは出来ず、原則としてそれら主語を別個に立てざるを得ません。

 主語を別添えするか、或いは動詞の活用語尾に誰が動作主体であるのかを含んでいて主語の別添えを要しない、このいずれの場合にせよ、<誰が>と言う事を重要視する言語体系であることに違いはありません。ゲルマン語系或いはラテン語系の言語は基本はこの性格を持っています。

 日本語の場合は、未然形、連用形などの活用系での違いはありますが、動作主体の違いに拠る動詞の格変化もなく、それ以外には現在形と過去形の変化ぐらいでしょうか。またしばしば<主語>は省略されます。付帯状況から判断して呉れ、との非言語表現型の言語とも言うべきでしょうか。これが為に日本語は曖昧だと主張する者も居ますが、日本人の当人同士では意思疎通がまともに成立しており、動詞の格変化や明確な主語を併記する言語体系とは異なる言語なのだと考えればそれで済む様にも塾長は思います。或る意味、相当に高度化された、一定の合理性を保有する言語体系と言っても良い様に塾長は感じます。仮に日本語の文章を読んで意味不明であれば、それは書き手の教養水準が単に反映されているだけであって、それを日本語の構造の所為にしてはいけないだろうと思います。自分の伝えたいことが第三者に誤解無きよう明確に届くか、これを常に意識して日本語の文章がモノされているかどうかで、相手の知的水準が直ちに分かる便利な言語でもあります。何となれば、頭に思いついたままにダラダラ記述しても、文章としての成立が許されてしまうのが日本語だからです。

 昔の日本語、即ち古文に於いても単語が分からない上に主語も判らず、頓珍漢な的外れな解釈を行いテストで点が取れないとの方も多かろうと思います (塾長もそうでした)。しかし古文の場合は、敬語表現から主語が判別できる場合も多く、1文 1文 を間違いなく解釈し、筋書きを追うことで着実な理解に繋がります。余談となりますが、古文の単語を覚えるのは英単語を覚えるのと同じで、一定のセット数を経文の様に<つべこべ言わずに頭に叩き込む>以外に道はありません。


https://ja.wikipedia.org/wiki/主語

 このサイトを見ると日本の主語の定義に関してはまだ定見は無い様ですね。


「主語優勢・主題優勢: 

  主語 (動作主) が語順や名詞の形などで (主格として) 明示される言語を主語優勢言語といい、一方、主題が明示される言語を主題優勢言語という。日本語も主題優勢言語であるとされる。 日本語では、主題も動作主主語もそれぞれ 「は」 「が」 で明示され、またどちらも文の必須要素ではないが、「は」のつく名詞は統語論上特別な地位にある。」 とあります。

「は」  でこれから話をしようとするテーマを提示し

「が」  で動作の主体を示す、訳ですね。

 例文として、「太郎には 才能がある。」の主語は何かの議論が紹介されています。

<太郎には>(主題) <才能>(主語) がある。

<太郎には>(主語) <才能がある> (連語述語)。

<太郎には>(主題) <才能が> (主格補語) ある。


  の3通りの解釈が紹介されていますが、文の意味としては 「才能に関しては太郎は持っている、太郎は才能を持っている」、との解釈 (=脳内日本語−日本語翻訳) も不可能ではなく、その場合「才能」が文の主題提示に相当しますね。日本語としては「は」と「が」で主題と主体の区別は一応出来ても、どうも意味概念上は完全な線引は出来ない様に思います。

 太郎には才能はある、の表現も可能で、

 「どうだね、太郎君のピアノの演奏は?」「そうですね、僕は彼は才能はあると思います」の会話の遣り取りも可能ですが、「太郎君」「ピアノ演奏の才能」の2つの話題が提示されたことに対し、受け手は「彼は」「才能は」のテーマ、主題で返答しているシーンです。「才能は彼はあると思います」と答えても良い訳で、「は」が付いても主題でもあり主体でもあり得ます。









句動詞の話



2019年6月5日

皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。

  前々回、前回 と collocation と idiom について触れました。 今回は英語の大和言葉に相当する類いの平易な動詞(易しい動作表現の動詞)+(前置詞 or 副詞)の組み合わせからなる、句動詞 phrasal verb フレイザル・バーブを採り上げましょう。例えば、 (to  look after 〜 原義は〜の後ろを見る)は to minister, to take care of   〜の世話をする、の意味を持ちます。まぁ子供の時からこの様な平易な語の組み合わせに拠る、特定の具体的な意味を持つ表現を使い込んで来て、ほとんど直感的に理解出来る native speaker は別として、非英語話者がこの言葉を見ても、to  look ater  a  baby 赤ん坊の後ろを見るとはどういう意味なのかと却って首を傾げる可能性があります。ラテン語系などの難しい言葉を使っても全く構わないので、明確な意味を持つ言葉でキリっと表現して呉れた方が、非英語話者には寧ろ明快に理解が出来ると思いますし、実際塾長もその1人です。


  collocation、idiom、phrasal veb、 の内、formal な英文を書くには正しいcollocation を使う事は必須ですが、他の2つは寧ろ排除すべき、口語的性格の強い表現法になります。特に句動詞は、informal であって、子供が使うような低レベルの表現と思われることがありますので、formal  な表現には使うべきではありません。


  逆にこれら2つを知らないと、相手のレベルにも拠りますが、円滑な会話が困難にもなるでしょう。英文の哲学書は読めても、小学生の英語が理解できない事態となります。実際、高度な内容の英文を読み進めるには、これら2つは殆ど出て来ませんが、中程度のレベルの文を読み進めたり、簡単な英作文を書けとの課題に対しては、そこそこの数の句動詞は覚えてないと入試の点が取れません。人と人との会話に使われる表現ですから、実際にそれが利用されるシーンを見て覚えるのも一法です。映画などを教材として上手く活用するのも良いと思います。


 web 版のケンブリッジ辞典では、

https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/phrasal-verb

phrasal verb

a phrase that consists of a verb with a preposition or adverb or both, the  meaning of which is  different from the meaning of its separate parts:

"Pay for", "work out", and "make up for" are all phrasal verbs.


前置詞或いは副詞或いは両者を伴う動詞からなる句。それを構成する個々の単語の意味とは異なる意味を持つ。pay for, work out, make up for は全てpfrasal verb 句動詞である。

 とあります。


 更に続き、文法の説明の項では(原文はフルバ−ジョンコラム参照)、

文法

 複数語動詞は1つの動詞(+小詞)+前置詞(例えばup, over, in, down)から構成される動詞である。

  phrasal verbs 句動詞、

  prepositional verbs 前置詞動詞、及び

  phrasal-prepositional verbs 句前置詞動詞 

 の3タイプがある。句動詞の用語でこれら3つを差す事もある。


句動詞とは2部分から成り、主動詞+副詞である。

前置詞句とは、2部分から成り、動詞+前置詞の組み合わせだが、2つは分離出来ない。


句動詞と前置詞動詞の違いは?

 句動詞は必ずしも目的語を取る必要は無いが、前置詞動詞(例えば listen to やdepend  on) は前置詞の後に必ず目的語を取る。


句前置詞動詞は、3つの部分から成る動詞である。動詞+小詞+前置詞から成る。小詞+前置詞は分離し得ない。この動詞の多くは informal な文の中でしばしば使われ、個々の構成から全体の意味を推測するのは困難である。


 うぅ〜ん。よく分からない説明ですね。


  いわゆる句動詞 phrasal verb には3種類があり、特にその内の3語からなるものはinformal な場で使用され、意味も個々の単語からは類推できないものになっているとの指摘です。動詞+副詞の組み合わせのものでは、当然ながら代名詞が目的語になる時は、それは必ず動詞の直後に配置させます。例えば、to give up something  〜 〜を止める、では to give  it up となります。


  相当前の話となりますが、塾長が学生の時分には、一橋大教授の岩田一男先生と言う有名な英文学者が居られました。ジキル博士とハイド氏の作者のスティーブンソンの研究家であり、また塾長の愛読している作家の中島 敦とは横浜の女学校で一時期同僚でもあった方です。当時英語にまつわる各種の本を多数著作されており、塾長も数冊は買い込みました。その中でタイトルを忘れてしまったのですが、get,  take,  go  などの基本的な動詞を使った表現を覚えて英語をモノにしようと主張する内容の本がありました。しかしそれらの句動詞は、単純に動作にバリエーションを付ける表現であると同時に、精神的な働きを意味する別の意味を二重に併せ持つものであり、初学者には却って覚えられないところがあるなぁと感じました。


 例えば、動詞 look +前置詞

to look over  〜の上越しに見る    

              ざっと調べる to examine briefly

to look after 〜のあとを視線で追う  

             世話をする to  minister to, to take care of

to look for  〜に向けて目で追う 

            探し求める to  seek; 期待する to  anticipate

to look into 〜の中をのぞき込む  

           調べる to inquire into 調査する to  investigate

     動詞+小詞+前置詞

to look forward to 〜 〜の前方を見る、

         〜を楽しみに待つ 

         to be pleased or excited to meet, experience, hear, etc.

I look forward to hearing from you soon.すぐにお返事戴ければ嬉しいです。

これは3語からなる句動詞ですが、formal な手紙の最後に使う事が出来ます。


 いずれの句動詞も、動作そのものの原義並びに、抽象化した精神的動作の二重の意味を持ちますので、口語的表現である理由以外にも論文や公的な文章中では利用は控えるべき用法です。正直なところ、塾長にしても to look over よりは最初から to  examine briefly と言って貰った方が一瞬で理解が出来でラクです。ある程度の句動詞の意味は知っておく必要は受験対策上当然ありますが、上記例で下の行に記した明確性の高い単語(いずれも一定の知的水準にある英語話者が極く普通に使う語です)等に常に置き換えられる様にしてください。まぁ、上の行の表現は小学生の作文表現の様なものかもしれません。そのレベルを 100万パターン覚えたとしても、英会話には役立っても、第三者から敬意を持って迎えられる、品格有る英文はモノ出来ないのは確かです。350語で英語が喋れるなどを謳う書籍が現在でも売られていますが、どの程度の知識階層との会話を成立させるのか、明確性を出していないのはどうかと感じますね。学校の先生 (おそらく一部エリート校の先生方は除く)  はこの辺のことを明確には教えてくれないのではないかと思います。明確且つ品性のある formal とされる表現と、簡単な単語を組み合わせた多義性を持つ  informal な表現とを状況に応じ適宜区別して使うことが肝要です。


 idiom の場合と同じく、phrasal verb も 短い、明確な意味表現で置き換えながら覚えると、暗記が捗ると同時に英語力も一段と up すると思います。句動詞を羅列した参考書に、英英辞典(の同義語辞典)を用いて検索した言い換えの語を、自分で書き込むのも良いと思います。









idiom の話(その2)



2019年5月21日

皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。

ついでに idom の形容詞形 idiomatic

ロングマン現代英英辞典から

https://www.ldoceonline.com/jp/dictionary/idiomatic

idiomatic

adjective    1 → idiomatic expression/phrase

2 typical of the natural way in which someone speaks or writes when they are using their own language

 自国語を話したり書いたりするのに自然で特有な遣り方


以下例文の一部:


He had the ability to write fluent and idiomatic English.  

 彼には滑らかで違和感の無い英語を書く能力があった。


Their books are translated intoidiomatic English.

 彼の本は自然な英語に翻訳される。


There are good pedagogic reasons for avoiding idiomatic idiosyncrasy of this kind.

 この種の奇怪な表現を避けるべきとの、ぴったり来る教育的理由が有ります。


In terms of style it's like a short Bach piece containing lots of idiomatic motifs and pedal tone ideas.

 スタイルの点では、バッハの小篇の様であり、沢山のバッハ風モティーフとペダルトーンの考えが詰まっています。


Does the text contain idiomatic phrases and if so, with what kind of dialect or register are these idioms  associated?

 文章はイディオム表現を含んでいて、もしそうなら、どの様な種類の方言や使用域とにそれらのイディオムは関係していますか?


Performances are idiomatic, with well sprung rhythms and sensibly chosen tempi,and benefit from a  generally cool and restrained approach.

 演奏は、よく撥ねるようなリズムと繊細に選ばれたテンポを備え、淀みなく、全体的に冷静且つ抑制の効いた表現法が良い効果を上げている。


 idiom はどの言語にもありますが、元々が多義的表現であると同時に、時代や場所により意味内容が異なって捉えられる場合もあります。会話レベルでの言語表現に潤いを添えるのは確かですが、短い、明確な意味表現で置き換える訓練を常に心がける(これには英英辞典を活用します)と英語力も一段と up すると思います。









idiom の話(その1)



2019年5月20日

皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。

 前回 collocation について触れましたが、では idiom とは何が違うのでしょうか? collocationとは英語話者には自然だと感じられる言葉の組み合わせ、慣用的表現のことですが、idiomは、文法的にも自然な単語(殆どは易しい単語)の固定化された配列ではあるものの、言葉通りの意味とは違った概念を生じる表現のことを指します。日本語でも多用されます。例えば「ワシのぉ、シノギもきつうなって来たさかい、足あろたろかおもてんねん」の<足を洗う>はカタギになることを意味しますが、誰でも知っている表現ですね。idiom とは日本語の成句、慣用句にほぼ相当します。

 <易しい動作表現の動詞+前置詞の組み合わせ>例えば、 (to look  over 上っツラを見る =  examine briefly 手短にざっと調べる)が、或る程度の意味は類推出来るものの、意味的には軽いidiom と言って良いでしょう (文法的には正しくは句動詞 phrasal verb フレイザル・バーブと呼ぶ)。

web 版のケンブリッジ辞典では、

https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/collocation

idiom

@ a group of words in a fixed order that have a particular meaning that is differentfrom the meanings of each word on its own:

To "have bitten off more than you can chew" is an idiom that means you have triedto do something which is too difficult for you.

A the style of expression in writing, speech, or music that is typical of a particularperiod, person, or group:


@決まり切った順番で配列される言葉の一群で、個々の単語の意味とは違った特別の意味を持つもの

A書き言葉、口述、音楽表現のスタイルで、時代、人物或いは集団に特有なもの

とあります。


Aは分かりにくいかもしれませんが、例えば黒人の音楽スタイル、平安時代の文学作品の文体などは idiom です。<スタイル>と訳せば分かり易いですね。

例文

 Though diverse in idioms, they all shared a profound involvement with  the revivalof a folk culture and its assimilation into art music.

 スタイルは多様化していたが、それら音楽は根源では、フォーク文化のリバイバル並びにその音楽としての芸術化の面で共に繋がっていた。

( to share a profound involvement with 〜 〜とは深い関係を共に持つ 

→ 根源に共有する、

→ 通底する to be connected at a fundamental level with

英文書き換え

Though diverse in idioms, they were all connected at a fundamental  level  with (orin terms of ) the revival of a folk culture and its  assimilation  into art music.


 表現型は多様だが、根っこには共通部分があるとの話ですね。スラスラ解釈出来ましたか? involve は多用される言葉ですが、日本語では今一ピンと来る訳語がありませんね。ここでは、巻き込み→関与→関係と、まずは脳内変換しました)

 idiom に関してはweb 上に非英語話者向けの例示が沢山存在していますので適宜有効活用すると良いでしょう。基本的に易しい単語の組み合わせからの口語表現ですが、言葉通りに解釈すると意味不明のものが殆どでしょう。日本人には巻き舌でこの類いをぺらぺらまくし立てられても理解しにくいですが、入試には会話表現も出題されますので、基本的な表現は頭に入れておいて下さい。また formal な書き言葉ではどの様な表現に置き換え可能か随時考えてみて下さい。

 因みに、学術論文などで、表記される文言は文字通りの意味で解釈されるべきであり、言葉とは異なる別の意味を持つ表現は歓迎されません。従って idiom そのものが使われる事は皆無に近いですが、それが表現したい意味内容にぴったりくる時には茶目っ気で ””で括って使う時もあります。 









collocation の話(その3)



2019年5月17日

皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。

 正しく書けば、

His accent is different now from before (the time when) he went  to  Australia.

 なら正しい表現と言う訳です。


Thing are much defferent than we expected three years ago.

 は避けて、


Things are much different fom the conditon that we expected three years ago.  

 3年前に期待していたのとは状況は全然違っている。


Things are much different from what we expected three years ago.  

 (この場合 what = things)

be different from the fact  (situation, etc.) that 〜

be different from the  time  when 〜


 などの様に、間に適当な言葉を補えば、後ろに句を添えても文法的には正しくなります。

 因みに、

 The tower was much taller than I had imagined before.

 塔は想像していたのよりずっと高かった。

 You should not make more money than is needed.

必要以上の金儲けはするな。


 共に比較級の普通の文章ですが、これらの than は関係代名詞 which に比較の気持がプラスされたものであり、疑似関係代名詞と呼称します。

 会話ではOKですが、書き言葉では、different than の使用は止めた方が良さそうです。









collocation の話(その2)



2019年5月16日

皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。

 collocation の揺れ動きの例としてweb 上で be different の用法がしばしば採り上げられます。学校では  be different from しか習いませんが、実際の会話では、be  different  than や be different to も頻用されます。

https://dictionary.cambridge.org/ja/grammar/british-grammar/different-from-different-to-or-different-than

Different from, different to or different than?

The adjective different means ‘not the same’.

When we compare two  or   more items, it is usually followed by from.

We also use different to,   especially in speaking:


   Adam is so different from/ to his brother.

   This house is very different  from/ to your last one.


In American English it is also common to say different than:


   This tea tastes very different than the one I usually drink. (or … very   different from/to the one I usually drink)


In British English, people often say different than before a clause,

but  many speakers consider this to be incorrect:


   His accent is different now than before he went to Australia.

(or …   different now from before he went to Australia.)


 形容詞 different は「同じでは無い」の意味ですが、2つまたはそれ以上の物事を比較する時には、普通は from を従えます。特に(英国での)会話には  different to も用います。米国英語では、different than と言うのも一般的です。英国英語では、節(主語と述語からなる文章のこと)の前に  しばしば  defferent  than と言いますが、多くの話者はこれは間違いだと考えます。

 His accent is different now than before he went to Australia.

彼のアクセントはオーストラリアに行く前とは違っている。

この表記は誤りだと考えられる訳ですね。









collocation の話(その1)



2019年5月15日

皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。

 英単語の暗記のコラムで collocation コロケーションについては1つ1つ覚えていくしかない旨を書きました。形容詞 essential の叙述用法では  to  be  essential  to  or  for  something の類いですが、rain に関しても  hard rain  豪雨 とは言いますが  strong rain 強雨とは言いません。collocation とは英語話者には自然だと感じられる言葉の組み合わせ、慣用的表現のことです。言葉は単語1つずつではなく、1まとめの慣用的表現として覚えると、上達が大変早くなると思います。


 web 版のケンブリッジ辞典では、

https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/collocation

collocation の定義

@ collocate a word or phrase that is often used with another word or  phrase, in a way that sounds correct to people who have spoken the

language all their lives, but might not be expected from the meaning:

In the phrase "a hard frost", "hard" is a collocation of "frost" and " strong" would not sound natural.


@その言葉の話者が生活全般で普通に使う、正しく聞こえる単語やフレーズの配列。しかし言葉の意味の上からはその用法は期待されないかもしれない

a hard frost もの凄い霜の表現で、hard はfrost のコロケーションであり、strong はどうも自然には聞こえないだろう

とあります。

 因みに to collocate 〜は 「〜を(一定の順序に)配列する」の意です。

 @で「意味からは期待されない」とありますが、frost 霜が冷蔵庫の製氷皿にびっしり付いていれば、程度が強烈の意味ゆえ本来 strong を使うべき筈が、慣用的では無く違和感があるとされ、硬さが硬いとの hard と組み合わせる、との意味です。別に霜が硬そうに見えると意味で使う訳ではありません。英語に限らず、日本語でも  collocation は幾らでも存在します。

 英会話に於いては、あまり collocation に拘ること無く、烈しい雨なら思った通りに(論理的表現として) strong  or thick  rain と言っても相手は理解してくれますので、躊躇せずに話すことが大切で、相手に指摘して貰うなどして次第に正しい collocation を覚えて上達させていく方針で良かろうと思います。しかし、formal な英文を書く時は、あまり broken ですと教養の程度を疑われてしまいますので、例えば collocation dictionary をその都度紐解くなどして正しい(正しい=慣用的)言葉の組み合わせを確認して書く習慣を、最初から身に付けて下さい。まぁ、セルフ英文校閲を掛ける訳ですが、collocation のウラを取りながら英文を書き進める習慣は、英語の実力を格段に引き上げて呉れるでしょう。









師匠と弟子



2019年5月10日

皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。

 前回、「ものを教え教わると言う事は、指導者そして生徒の間の真剣勝負、一騎打ち」 と書きました。実は或る知り合いのプロのピアニストから聞いた事ですが、個人レッスン (その人の元にはいわゆる街のピアノ教室の先生やコンクール狙いの音大生、音大を目指す若者などが指導を受けに来ますし、各種コンテストの審査員でもあり、教え子には音大を出てプロとして活躍する者もいます) の場で、技量的なことは厳しく指導はするが、自分が或る曲に対して掴み得た曲想、音楽的解釈については絶体に伝授はしないとの話でした。盗めるものなら盗んでみろの気持で自分の一派、即ち弟子には対峙するそうです。それで当の弟子が自己の才能を花開けば出藍の誉れと言う次第で師匠側も評価されるに至ります。因みにそのピアニストは時々ドイツとオーストリアに出かけて演奏活動がてら、更に上の師匠筋に指導を受けています。リサイタルのチラシのプロフィール欄に**氏に師事した、と書いてありますがそれですね。まぁ、プロとして独り立ちするには、最後は当人個人の芸術的感性と技量の面で飛び抜けて優れている事が必要条件で、その究極のところは元々他人が指導して教えられるものではないと言うことです。


 当塾は芸術指導の場ではなく、只の英語の指導塾ですので、盗めるものなら盗んでみろの構えはなく、塾長が持てる知識や技法は機会を通じて全て吐き出して伝授する方針です。但し、当然ながら、非言語的な「何か」を感得し、自己の内に構築し得るかは、最終的に学習者側の「学ぶ能力」であり、教える側はそこには関与し得ませんし関知もしません。勉強とは個人が行うものであるとは正にそのことです。他人に遣らされることではありません。もし指導を受ける若者が将来指導する側に回り、塾長から得たことを伝えて呉れるならそれは大きな喜びですね。


 学習に必要な基本的な取り組み方についてこれまで述べてきましたが、次回からは英語学習に役立つ各論に入ります。









塾と大学(その2)



2019年5月6日

皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。

 少子化が今後進みますので、新制の国立大(勿論基幹的な存在である一部有力校は除く)を解体して元の専門学校に戻し、近隣の数個の県をブロックにして、工業高等専門学校はA県、師範学校はB県、医学専門学校はC県に設置などの様に、割り振るのも現実的かと思っています。各地方国立大が似た様な学部を抱え、補助金削減のジリ貧並びに入学する学生の質の低下に喘ぐ現状を打破し、纏めることでスケールメリット並びにレベルアップも期待できるのではと考えますが如何でしょうか?

 歴史の浅い、広き門の私立大学の場合、就業し得たにしても、一度リストラ等に遭うと何かの国家資格でも持たない限り、文字通りのローリングストーンに陥る可能性もあります。或る意味、大学に入る者も雇用者側も、日本はもの凄い、硬直化した形式主義に生きていますが、近頃では、意義の低い、無駄な大学進学はしない方向へと、若者自身も舵を切り始めているようですね。

 学ぶことに本質的な興味があるならば、生活が安定してから、通信制の大学等を含め入学する手もあります。

 さて、練馬を含め都内全域に目を向ければ、従来に無い斬新な取り組みを行い進学(受験)実績を着実に延ばしている学習塾が散見されます。塾頭は意外や若い方が多く、感ずるところあって勤めを辞めた志のある開塾者の方々でしょうか。塾の理念を見ると、しっかりとした哲学性を持って運営に当たり、また学習者に対して科学的な配慮 (広義の教育心理学でしょうか?) を施し、柔軟な学習指導を行うなど、当塾塾長も感心せざるを得ません。その様な、<頭脳的な戦略+子供達を伸ばしたい、助けたいとの情熱>を持つ塾頭の元には優秀な教師も自ずと集まり、良循環が始まるのでしょうね。企業は人なり、は塾にも当てはまりそうです。

 塾長が考えるところでは、ものを教え教わると言う事は、指導者そして生徒の間の真剣勝負、一騎打ちです。そこに迫力が感じられない様な習いの場であれば、子供達に、金銭で問題を先送りにし人生を他人任せにする悪いクセを付けてしまう虞もあるでしょう。不安に駆られながら惰性で通い、成績の伸びが悪い様であれば、その様な塾は一度見直しを図るのも一法ですね。勉強の遣り方が判らないまま上ずった気持で通っていても時間とお金の無駄になるだけです。

 勉強の遣り方に迷いがある者は漫然と塾に通うのでは無く、個人的な指導をガツンと受けるのも良いと思います。もっともっと上を目指したいとの、凡庸な指導方法に飽き足らないご父兄、また向学心高き悩める若者は個人指導をご検討戴ければと思います。合う合わないもあるかと思いますが、一度短期決戦のカンフル指導を受けたら如何ですか?









塾と大学(その1)




019年5月5日

皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。

 子供の日に当たり、教育絡みの話を展開しましょう。

 当塾を開講するに当たり、塾長は西武池袋線 練馬駅を中心とする学習塾について徹底的な  survey  を掛けました。半径 3km 圏内での市場調査 market research と言う次第です。率直な感想ですが、これは日本の他の地域でも等しいことと思われますが、中身が取り立てて特徴も無く、凡庸と思わされる補習塾の類いも見受けられました。尤も、塾側が入試結果の責任を回避し得る、いわゆる単なる補習のみを行う塾の場合、そこそこの地頭の生徒とその程度の先生とで、それはそれで良い組み合わせなのかもしれません。生徒側にしてみれば自分のレベルに合った先生という次第で、却って気持の理解も通じて学習効果が出、そして実際に授業に落ちこぼれることなく推移し得る可能性も否定できません。勿論、その様な妥協的な現状維持の為の勉学の姿勢では、世の中の一流にはとても手が届きません。切磋琢磨して少しでも上に這い上がろうとの気持が何よりも大切です。本コラムをお読み戴いている水準の高い方々には、その様な単なる補習塾の類いは、もとより縁無き対象だろうと思います。

 塾長はかねがね根本的な疑問がぬぐえないのですが、高みを目指す受験指導と異なり、単なる補習程度のことは、学校に通い真剣に授業を聞き、自分で予習復習を行えばそれで間に合って当然であり、わざわざ高い金額を支払ってまでして、塾に通う必要が果たしてあるのか、との思いです。

 厳しい言い方をすれば、その程度の勉学も自分でこなせない様なレベルであれば、机の上の仕事に適性を欠く者ゆえ、別の方向に向けて中学入学時等の早い段階から職業訓練させる道を考えても良かろうと思います。これは欧米など殆どの国で行われていることであり、厳しい世の中に於いて、当人が社会人として道を外さず幸福に生きていく為の施策でもあります。勉学が嫌でストレスを感じるがゆえに、一部の者は、脳機能の質の低さと相俟って、授業妨害や重大な人権蹂躙であるイジメを始めたりする様になる訳ですね。モノを知りたくて気持が溢れている者は、その様な低俗なことを遣る暇もありませんし、そもそも思いつきもしない筈です。

 基本、大学の名に値するのは、自分で工夫して勉強をスイスイと進められる、知る事に対する本能的な欲求水準の高い「数寄者」が本来進むべき組織であり、研究者等含めた頭脳労働の為の一種の高等職能訓練校であり、いわゆる旧帝大や歴史ある私大などがそれに相当するでしょう。卒業生から研究者を輩出できる大学です。

 因みに、昭和23年に各都道府県に1つずつ設置された国立大学は、基本は各地の師範学校(教員養成の専門学校)をコアに、その他の専門学校(農林専門学校、医学専門学校、歯学専門学校などを含む)や旧制高校を合体させて作り上げたものです。一部の大学や学部を除き、本当の意味での、学問を究める者を養成するための大学ではなく(教官側は勿論学究の徒ですが)、各分野の実学のリーダーとなる「高等職人」養成の為の専門学校の色彩を現在も色濃く遺していると思います。 まぁ、その地域の県庁に勤務したり、学校の先生になったり、技術者になったり、臨床医になったりですね。この種の学校を出て身を立て、手堅く生き、社会に貢献するのも立派な人生だと思います。









参考書の話



2019年4月20日

皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。


 勉強とは、その根本は個人が自分のペースで着実に課題を咀嚼しながら血肉の栄養とする過程ですので、多人数の塾に通うにせよ、当塾の様な個人指導塾に通うにせよ、最後は自分の勉強のスタイルが構築出来、歯車が確実に噛み合って車体が前に進めるかどうかが鍵になります。


 勉強の遣り方、詰まりは自己鍛錬のノウハウを身に付けた者は、大手の書店や web などで定評ある参考書を入手して自主学習すれば成績は遣っただけ伸びていく筈です。まぁ、弾み車が回り始めているので、少しのエネルギー補填で車輪は回り続ける訳ですね。その様な者は他人の指導を受ける必要性は少なく、時々予備校主催の模試を受けに行き、自己の学力の客観的な位置づけや問題点をチェックする程度で入試も突破出来るでしょう。まぁ、いわゆる試験に強い奴の類いです。


 参考書を吟味して本当に自分の為になるものを見つけられた者は幸せと思います。金銭的負担も掛からずで万々歳です。何も籠もって勉強せずとも、司法試験の勉強会の様に、勉学は基本は個人のものであっても、仲間内のホットスポットに身を置いて倦まず弛まず自分を鼓舞して進める方法も勿論有ります。これにも電車賃とお茶代ぐらいしか要しませんね。


 問題は、途中から stray  sheep  になってしまった者達です。勉強の遣り方が判らないうちに、あれこれ多数の参考書に手を伸ばしたが、遣り果せず、積まれているそれらを見ると精神的に苦しいとの面々です。水に飛び込んだが泳ぎ方 (=勉強法) に習熟せずになかなか前に進めずに、或いは沈みそうになり悪戦苦闘している者達です。あなたがもしそうであればですが、上ずってあれこれ参考書を買い込んだりせずに、まずはヴェテランから効率の良いスマートな泳ぎ方を習うのが最善且つ最短距離です。自己流で状況をなんとか改善しようとしても藻掻くだけで体力を消耗し身体は沈んでいきます。沈まないうちに早めに第三者からの指導や助言を受けるべきで、一度正しい泳ぎ方を身に付ける事が出来れば、効率的に疲れ知らずでスイスイと泳ぎ進める様になります。勿論泳ぐのはあなた自身ですが、こちらは泳法をコーチする側と言う立場です。もし自分の勉強の進め方に疑問を抱いているならコーチに一度見て貰うのも良い方法と思います。相性の良いコーチが見つかると良いですね。参考書を求めるのはそのあとでよいでしょう。









英単語の暗記(その2)



2019年4月16日

皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。


 ある程度、稗田阿礼になり切る様な勉強が進んだ段階で、次は文法に乗りだし、同時に個々の単語と他の単語との結びつき collocation コロケーションも例文を紐解きながら覚え始めます。簡単な例を挙げれば、単語 essential に対し、be   essential to  something 、be   essential  for something 〜には必要不可欠だ、無くてはならない、の使用法を覚えることですね。essential  には前置詞  to や for を使うんだ、へぇ、との按配です。この様にして1個1個の単語について他の単語との組み合わせを特に動詞について学習し記憶して行きます。因みに上の叙述用法の essential に、限定用法 (後ろに置いた名詞を修飾する用法) の意味の、基本的な (basic and  fundamental)、の意味を当てると日本語として意味不明になり文意が掴めなくなりますのでご注意を。

 Adequate amount of vitamin D is essential to good health.

 適量のビタミンDは健康に必要不可欠だ。

 Vitamin D is essential for bone health, helping the body absorb and  use calcium  in bones and teeth.

 ビタミンDは骨の健康の為には不可欠で、身体がカルシウムを吸収して骨と歯で利用するのを助けます。

 

 上の文で to と for を入れ替えても問題ないと思います。


 塾長は医学分野に興味がありますので上の例文を出しましたが、単語1個1個に対して自分が興味ある分野の例文集を作り上げる (web から文章を拾い上げる) のも効果的と思います。と言うのは市販の英文文例集を見ても面白くも無い文章の羅列で頭に入らないからです。市販の文例集を自分で作り替える訳ですね。これは一生の宝になります。


 基本的な英単語のセットが脳内に構築出来ると、英英辞典を利用することが可能になります。紙媒体や各種の web 版の英英辞書もありますし、CDやDVD化され市販されたものもあります。上の例に挙げた essential の意味が明確に分からない場合などに英英辞典を探り、英語での別の言い換えを知ると疑問が雲散霧消するのですが、英英辞典の本格的な利用は大学入学後ぐらいでも良いでしょう。知りたい方には塾長が伝授は可能です。英英辞典を使いこなしていく内に、英語は英語で理解した方が格段に易しいことに実感を持って気がつくようになります。


 繰り返しますが、つべこべ言わずに始めよう、それだけです。泣きながらでも構いません。さぁ、今から始めて下さい!









英単語の暗記(その1)



2019年4月15日

皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。

 これは当たり前の話なのですが、英語の文章構造、詰まりは文法を完全に理解していたにせよ、主語、動詞、装飾句等の意味が不明であれば文の持つ意味を理解できません。大学入試問題や英文の Wikipedia  に出て来る程度の単語は、頭の中の自分の辞書に基本セットとして収めておく必要があります。


 我々が漢字を学習した時を思い起こして欲しいのですが、小学校の学年毎に割り振られた漢字を少しずつ読み書き出来る様に授業が進められて行きました。学年が進むと同じ漢字でも別の読みや意味があることが追加されて行きます。この様にして 9年間の義務教育が終了した時点では約 2136字もの漢字が目出度く読み書きできるようになります。


 脳の学習能力が大幅に上がっていると期待される高校生にもなると、受験の圧力が脳の力を振り絞らせるが如くに、大量の英単語を9年間と言わず極く短期間に記憶することを余儀なくさせます。こればかりは避けて通れず、将来的に英語の大海に乗り出して自由に泳ぐ為には、せめても脳の柔軟性がある若い時分に頑張らせる世の有り難い仕組みだ、と心得るしか有りませんね。まぁ、鉄は熱いうちに打てですが、打たれる本人はその時は苦しいのですが、後になって振り返ると遣っておいて良かったなぁと思うことの1つです。


 同じ覚えるならば、精神的な煩悶なく出来るだけ合理的な方法で効率よく覚えたいですね。一つには、門前の小僧ではありませんが、出来るだけ早い内に、最頻出  or  最重要順の単語をつべこべ言わずに音読しながら頭に叩き込むことです。「つべこべ言わない」 が大切で、生まれたてのガチョウの雛が刷り込み inprinting されるように、只これを繰り返します。基本、一単語一訳語で構わないと思います。まぁ、あとになると、信じる者は救われるとはこのことかと納得することになるでしょう。恥も外聞も無く敢行して下さい。


 単語だけではなく、幾つかの単語の連なりから成る熟語も大切ですので、定評ある適当な熟語集の参考書を入手して、これも経文の如くに頭に叩き入れます。地頭が悪くない者 (そこそこの進学実績のある高校在学 or 既卒) であれば誰でも成果が出ますので、泣きながらでも構いませんから兎に角これを続けます。早ければ 1,2ヶ月で可なりイケると思います。4月或いは連休明けから始めて 7月末までに大方覚え終われば、残りの受験までの半年間に格段の伸びが期待できると思います。「つべこべ言わない」 で自分に義務を課すことはストレスを生みますが、これは自分なりの方法で発散するようにしてメンタルのバランスを維持して下さい。気分転換がてら、志望大学のキャンパスを訪問するのも良いでしょう。病気で入院してつらい思いをしている訳でもなんでもなく、全ては自分の血肉になることゆえ、これは自分のためなんだと割り切りながら進めるのも良いと思います。数学の難問を解くのとは異なり、只遣れば遣るだけ知識が積み重なりますので、或る意味、こんな容易で得をする勉強法は他に無いとも言えるでしょう。纏まった時間を取る迄もなく、他の勉強の間に生じた短い空き時間に、文字通り寸暇を惜しんで行きつ戻りつページを進めて下さい。










英文読解力涵養のすすめ



2019年4月10日
皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。

 国内の web サイトを眺めていると、ある 1人が書いたことを多くの者が引用し合うだけで記事が書かれているのに往々気がつきます。つまり幾ら検索してもそれより上の、或いは深い情報が得られずに、堂々巡りするだけで時間が無駄になってしまいがちです。まぁ、残念ながら、独自性の無い、informative ではない、自称ライター氏が作成する低レベルのサイトが相当数存在する模様です。因みに塾長が別サイトで運営している動物・獣医療相談の関連語で検索を掛けても、どこからかコピーして来たような浅い知識の開陳であったり、或いはどうもあまり知性を感じさせない質問と受け答えのオンパレードに満ち溢れ、これを烏合の衆と言わずして何と呼ぶのだろうと感じさせられることが多々あります。このような現況ゆえ、知性派が逃げ出してしまうのも肯んじ得ることです。


 塾長は最初から英語或いは必要に応じ仏語等で検索を掛けで調べ物をしますので、海外発のオリジナルで新鮮な情報がダイレクトに得られ、手間暇を掛けた分だけガツンと勉強になるなぁと手応えを感じます。


 地球上で話者数が少数派に過ぎない日本語で検索を行い、日本列島に居住する日本人による日本人のために作られたサイト - 往々にして内容をコピーし合っている -から情報を得る検索行為では、極めて限定された、偏った情報しか得られないだろうことは皆さんも理解戴ける筈です。


 ちょっと表現が迂遠だったかもしれませんが、英語が出来ない、英語が分からない、英語が読めない日本人が大多数であるゆえに、低レベルの閉ざされた情報の中をぐるぐる周りさせられることに陥る訳です。


 街角に英会話スクールが濫立し、外国人が講師として教えるところもありますが、浅い英会話が出来る程度では海外のちょっとしたホネのあるサイトには全く太刀打ちできません。只の英会話でしたら老若男女が3億人も居る米国人がいとも容易に毎日交わしていますが、一定レベル以上の文章を読みこなすことはそれとは別の次元のことで、米国人でもそれ相応の読解力が要求されます。教養を涵養しなければこれは不可能です。


 日本国内居住の日本語話者−塾長もその1人です−が、一定レベルの英文を読みこなせる様になると、国内のサイトを堂々巡りすることなく、世界中のサイトにアクセスしてダイレクトに深い情報を得ることが出来、自分の知識、知性、そしてそれに基づく判断の幅が格段に広がります。これは何も受験を巡る話に限らず、人生上の様々なシーンで役に立つことであり、情報入手の点で比べものにならないぐらい得をすることになります。


 こんな訳で、英文をきちっと読みこなす力、英文読解力を身に付けることを是非お奨め致します。金銭では買えない、減ることのない一生の宝を手に入れることになります。


 当塾では、英文を1語1句ないがしろにすることなく読み進め、相手が何を言わんとしているのかを精確に把握する方法、その考え方を教示する方針です。英語の基礎力のある方を対象としますが、各人の実力に合わせきめ細やかな指導を行います。是非、ご検討下さい。









英語塾開設のご挨拶



2019年4月5日
皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。

 この度、相談専門動物クリニック Ken's Veterinary Clinic Tokyo に併設する形で、英文読解力養成のための個別指導塾を開設致しました。以後どうぞ御見知りおきください。

 本コラムの場では英文読解指導に関するトピックスをはじめ、それらにまつわる塾長の雑感を折に触れ書いて行きたいと思います。


 他のサイトでは見られない役に立つ知識・情報も含まれることもあろうかと思います。どうぞ覗いてみてください。



*記事内容の転載をご希望の方は塾長までご連絡下さい。

*本コラムに掲載される記事内容、アイデア等については、その全体もしくは一部について、改変等を含めた無断転載、剽窃、或いはそれらに類する行為を行う事を固く禁じます。