英文長文読解 短期集中 個別指導 

KVC Tokyo  英語塾

                               


































































































































































































































































































































































塾長のコラム 2020年2月5日  入試英文を添削するD







入試英文を添削するD



2020年2月5日

 皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。

 普段一般的な英語の文章を多読している塾長からすると、大学入試の英語文に触れてギョッとなることがそこそこあります。入試英文も一つの英語の文章として、公平な観点から見てみようとのコラムの第5回目です。

 以下、過去問とはなりますが具体例を挙げながら入試英文を<添削>して参りましょう。最終的には改訂した英文を掲載しますが、そこに至る塾長の考え方、迷い?など思考のプロセスをご覧ください。他ではちょっと見られない企画だろうと思います。

以下参考辞書サイト:

https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/






M


Ordinary  People (1980) Trailer #1 | Movieclips  Classic Trailers

2018/03/19 Movieclips Classic Trailers

Check out the  official  Ordinary People (1980) trailer starring  Donald  Sutherland!

https://youtu.be/HQKEdiQ79OM


邦題 『普通の人々』。俳優のロバート・レッドフォードが監督業に乗り出した作品です。

第53回 (1980年)アカデミー賞にて監督賞、作品賞、助演男優賞、脚色賞の4部門で

オスカー像を得ました。






There is general apathy to if not positive  distrust  of  science  itself as a search for truth; for, to the ordinary American,  science is identified with mechanical  inventions.

(早稲田大)

「積極的な不信とまでは行かないが、真理を探究するものとしての科学に対する冷淡さが社会一般にある。と言うのは、普通のアメリカ人にとっては科学とは器械の発明と同一のものだからだ。」


早速カッコで括れば、

There is general apathy to (if not positive  distrust  of)  (science  itself as a search for truth); for, to the ordinary  American,  science is identified with mechanical  inventions.


 最初の括弧内の前後を最初からカンマで括るべきですが、意図的に外して受験生を混乱させようとしている様に見えます。非常にタチの悪い英文です。文章を読み進めていても混乱してしまい意味が取れなくなります。


 if 以下の括弧内は従属節扱いの文が短縮省略されたものですので、science の語に対して、主節と従属節がそれぞれ前から掛かる構文はどうなのかと言うところで、塾長は幾らかギョッとしました。主節と従属節が1つの単語を兼用せず、if (これは本来文章を従える接続詞)以下を別個の独立した文として分けた上で短縮化する必要がある筈でが、一体どうなっているのでしょうか?


尤も、

He decided to go, although I  begged him not to.

 彼は行く事に決めた。私が行かないでくれと乞うたにも拘わらず。

 この文章では最後の  do so, 或いは go が省略されています。 do  so 或いは go を直接兼用しているのとは話が違います。ここで無理遣り従属節を主節に挿入すると


He decided to (although I  begged him not to) go.

 となりますが、矢張り珍妙な文章です。


if not

 勿論、もし〜で無いなら、の単純な仮定の文を短縮する用例も普通に見られますが、

even if, even though たとい〜であっても、の意味の文章を短縮したケースもあります。この場合、実質副詞的に用い、基本的に同類の意味を持つ語を<弱 +強>の順に並べ、前者がより蓋然性が高い事を示します。後ろには極端な例を持ってくることが通例です。


<〜とは言わないまでも>と訳すとピッタリ来ます。


A, if not B  (here A is  semantically weaker than B)

 B 程までに(程度が強くは)ないが A である

= A, not to say B


 A とB は等位の関係(同じ品詞、同じ語数)であって、しかも簡略な表現が挿入句としては求められるでしょう。


cf. semantically 意味的に


It's highly desirable, if not essential, for you to  go  on  a  diet.

 君がダイエットをするのは, 絶対必要だとは言わないが, きわめて望ましい。

= It's highly desirable, not to say essential, for  you  to  goon a diet.

= It's highly desirable for you to go on a diet,  even  if  it's  not essential for you to do so.









平易な書き換えの要点


*A と B は等位にした方がバランスが良さそうです。

 そこでまずは、不要な  positive  を削除し、

There is general apathy to, if not distrust of,  science  itself  as  a search for truth.

 とします。


*しかし、主節と従属節が名詞 science に共通に掛かる構文にはやはり疑問符が拭えず、


There is general apathy to science as  a  search  for  truth, even if  (there is)  not distrust of it.


 と分離させ、従属節にて science  as a search for truth を it で代用します。これが一番安全でしょう。但し、対照を表す2つの表現、apathy to と distrust  of が離れてしまいます。この対照的修辞表現を接近させつつ、文法的にも疑義を抱かせないだろう記述に改めます。


*there is なる記述は、主体が不明確であり、物理的に存在するのか、誰かが保有しているのかの明確性がありません。


There is no air in space.

→ Air is not present in  space.

 宇宙に空気は無い。

→  Space has no air.

 宇宙は空気を持たない。


There is apathy to science.

 科学に対する冷淡さがある。

 apathy は物質として存在せず人間の精神にありますので、 We  have apathy to science. としたいところですが用例が見付かりませんでした。


 ちなみに、以下の表現は取り得ます。

have (feel) sympathy for

 同情する、心を寄せる

People often have no  sympathy for the homeless.

 ホームレスに同情心を持たない人が多い。


cf. apathy: Greek apatheia, from a: without + pathos:  feeling

 感情を持たない、何とも思わない

apathy = being without  feeling


 そこで

There is apathy to science. を

→ We are indifferent to  science.

 我々は科学には冷淡だ。

 と書き換えます。


*ここで省略的な挿入表現を使いたいなら、接続詞 if を使わない単なる副詞句を採用します。


*scientific inquiry <科学的探求>の用法から a  serch  forを  an  inquiry  into に換えます。


*itself は無くてもOKでしょう。









 以上から全文を平易に書き換えると


Rewrite


Generally, we are indifferent to, not to  say  suspicious  of,  science as an inquiry into truth. That is because ordinary  Americans regard science to be equal  to  mechanical  inventions.


 「一般に我々は、真理を探求する1つのものとしての科学に対し、疑念を持つ程では無いが冷淡である。それはなぜなら、米国人は科学イコール器械の発明と普通見倣すからである。」


→ 「世間一般は真理探求のための科学に対し、疑念を持つ程では無いが冷淡である。なぜなら、米国人は科学イコール器械の発明だ、と普通見倣すからである。」


 まぁ、短兵急に実用性に直結するもの、すべきものとして科学を捉えているのでしょう。これは日本も同様で、「科学技術」なる言葉がありますが、以前から科学と工業技術、産業技術を同列に並べるのは奇妙だとの指摘は為されています。科学技術庁の名も正しくは産業技術庁と変更すべきでしょう。


*この様に簡潔に書き換えました。意味するところは同じです。比較すると上記入試出題文が無駄な鎧で身を固めた表現であることが浮かび上がるでしょう。この様に、入試英文は大した内容を述べるまでもないのに、わざわざ肩肘張った意味の取りにくい英文としてしまい、「結晶度」が高くない、形が歪んだものが散見されます。同一の思考内容を理路整然と平易且つ簡潔に述べるのが学術論文とすれば、感性・詩情豊かに簡潔に述べるのが文学と言えそうです。評論であっても平易簡潔が望ましいでしょう。当然、(平易簡潔で高度な概念を述べる)>>(難解な形式で詰まらぬ事を述べる)、ですね。


形式的に難解な英文をカッコで括ったりひっくり返して読解せんとの姿勢には、漢文を相手に苦闘した古い時代の<悪癖>或いは<因習>が大学入試の世界に別の姿形として遺残していることを示すのではと思います。これが、入試が片付いたら入試英語とはさっさと縁を切りなさいと塾長が主張する1つの論拠です。受験産業に関わってメシの種とする者は別として(塾長もその一人?!)。


* apathy の前の general を引っ張り出して文章全体に掛かる副詞 generally にさせました。Generally speaking, In general <一般的には、普通には、通常>と同じ意味ですが、皆が普通にそうだ、そう考えるのが少数者では無く大多数だ、との意味です。


cf. regard A to be B  A を B とみなす

= regard A as B


cf. be identified with = be  equal to 〜に等しい


cf. ordinary 普通の、ordinary  people 普通の人々


→和訳時に、副詞的に扱い、<見倣す>に掛けると自然になります。<普通の人々は見倣す>を<人々は普通に見倣す>とする方法です。この様に和訳時に英語の品詞を別の品詞扱いにして適宜再配置すると自然な日本語になります。逆に日本語を英訳する際にこの方法を用いて英語らしい英文とすることも出来ます。<品詞変換 + 配置転換の術>との塩梅です。この<品詞変換 + 配置転換の術>については後日まとめてコラム化しようと考えています。









 これまで5題の入試英文をじっくり見ていきましたが、塾長が展開したのと同じ遣り方で、入試英文を「解読」し、用いられている語句の用法を辞書で(出来れば英英辞典で)調べて知識とする習慣を身につければ、英文の読解力は格段に上がる筈です。更には自分だったらこう書き換えるのだが、と英英翻訳を行うと完璧に近づきます。この様な訓練を重ねると、脳内での和訳変換無しに、最初から目に入る英文の意味のままに読み進められるようになります。平易な英文であれば一晩で数十〜百頁程度は読みこなせる様にはなるでしょう。その様なレベルに到達してのちに、ギョッと感じる英文に出会った場合には英文の方がおかしいとの疑義を自信を持って抱いて良いと思います。まぁ、精読と多読をインターバルで行うと良いと思います。