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KVC Tokyo   練馬英語塾

                               































































































































































































































































塾長のコラム 2020年2月20日  『フランス語の勧めU







フランス語の勧めU



2020年2月20日

 皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。

 続編のフランス語の勧めUです。


以下、コラム執筆の為の参考サイト:


https://ja.wikipedia.org/wiki/俗ラテン語


https://ja.wikipedia.org/wiki/ロマンス諸語


https://ja.wikipedia.org/wiki/方法序説


https://fr.wikipedia.org/wiki/Discours_de_la_m%C3%A9thode








https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Frans_Hals_-_Portret_van_Ren%C3%A9_Descartes.jpg

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/73/Frans_Hals_

-_Portret_van_Ren%C3%A9_Descartes.jpg

After Frans Hals [Public domain] Frans Hals - Portret van Rene Descartes


「我思う、故に我在り」 のデカルトの肖像。有名すぎるポートレートですね。






 ラテン語についてここで軽く触れておきますね。

 ラテン語起源の言語は動詞1つを取っても格変化を起こします。私が、君が、彼が、あなたたちが、彼らが、などで末尾がまた変化します。それゆえ、動詞1個だけで<主語+行為、動作>が表現出来、文が成立します。但し、フランス語では他の俗ラテン語と異なり主語も付けます。

デカルトの 『方法序説』 (Discours de la methode)にある、

 「我思う、故に我在り」は


 仏: Je pense, donc je suis. ジュポンス ドンク ジュスゥイ

 羅: Cogito ergo sum. コーギトー エルゴ スム

 英 I think, therefore I  am..

 和 私は考える、それゆえに私は存在する。


  となります。




デカルト 方法序説

DESCARTES DISCOURS DE LA METHODE (1637)

POUR BIEN CONDUIRE SA RAISON ET CHERCHER LAVERITE DANS LES SCIENCES


『理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の話(方法序説)


第4部の冒頭の章に以下の文が含まれます:

    Et  remarquant  que  cette  verite  :je pense, donc je suis, etait si ferme et si assuree, que toutes les plus extravagantes suppositions des  sceptiques n'etaient pas capables de l'ebranler, je jugeai que je pouvais la recevoir, sans scrupule, pour le premier principe de la philosophie  que je cherchais.


 そして、この真実、即ち我思うゆえに我あり、は大変堅固で確実なものであるが故に、懐疑論者達に拠る最大限に華やかな仮定をも(これを)揺るがす事が出来なかったのだと私は気づき、自分が探し求めていた哲学の第一原理として疑念無く受け入れることが出来る、と私は判断したのである。

(塾長訳)


 『方法序説』 は元々フランス語で執筆されましたが、<Je pense, donc je suis> を、デカルトと親交のあった メルセンヌが <Cogito ergo sum> とラテン語訳しました。余談ですが400年近く前のフランス語ですが現代フランス語の文章の様に普通に和訳出来てしまいます。言語として大変安定していて揺るぎがありません。言語としての曖昧性が無く、この様な理由から外交文書にフランス語が採用される訳ですね。

デカルト 方法序説

http://lyc-sevres.ac-versailles.fr/eee.13-14.docs/descartes.discours.texte.integral.pdf

全文無料で読めます。




 ラテン語の cogito は cogitare (考える)の直説法一人称単数現在形、詰まり、「私は」の意味がこの動詞活用形に含まれています。cogito だけで I think です。同様に  sum はラテン語の be 動詞相当  esseの直説法一人称単数現在形で I  am 私は存在する、に相当します。迷子になった時に英語で  Where am I? と聞きますが、今私はどこにいるの、どこに存在するの、ですね。英語でも be 動詞は主語が何であるかで ある程度は変化しますので am  happy で、私は幸せだ、と判りますが、主語 I は省きませんね。 donc, ergo, therefore の3つは「それゆえに、そう言う訳で」の同じ意味です。

 因みに「我思う、故に我在り」の対偶命題は「我居らず故に我思わず」ですが、I am not present  therefor  I  do not think at all. となります。映画 『ターミネーター2』の最後で、使命を果たしたアンドロイドが自分を消滅させるべく溶鉱炉に沈むのですが、彼が見ていた世界の画面がプツンと切れて全ては終わります。これを見て、自分が存在しての世界の認識であって、自分が消えてしまえば世界など失せてしまうと、このデカルトの言葉を塾長は感じました。認識論的世界観?とも言うべきなのかと思いますが、今も死ぬとはこう言うことなのか、その人の世界観が只失せることなのか、なるほど、と勝手に納得しています。






Terminator 2 Ending Scene 4K 3D Remastered

2018/01/31 MASTER_GOW

https://youtu.be/cmmbBo8RYoE


何とも切ないシーンです。






 ラテン語には名詞、形容詞などにも格変化が有り、名詞は例えば主呼属与対奪 しゅこぞくよたいだつなどと覚えるのですが、主格(〜は)、呼格(〜よ、呼び掛け)、属格(〜の)、与格(〜に)、対格(〜を)、奪格(〜から)と利用されるシーンに応じて単語の末尾が変化します。言わば英語での動詞+前置詞の状態ですが、経文の様に覚える他はありません。塾長は第3外国語にギリシア語とラテン語を選択し、辞書まで買い込みましたが、ギリシャ語の方は途中で挫折しましたがラテン語の方はそこそこ進みました。何通りかのパターンを<つべこべ言わずに>口唱するのみです。

 フランス語ではラテン語の活用の仕方を基本は遺していますが、変化しているところや消滅したものもあります。しかしラテン語の格変化とはこんなものなのかと、英語学習のみ行って来た者には新鮮に映るのではと思います。まぁ。これは実はドイツ語などを学習しても同じ事ですが。

 因みにラテン語の1つの動詞の格変化ですが、

https://ja.wikibooks.org/wiki/ラテン語_第一活用動詞


愛する amare アマーレに対し、例えば直説法現在


1人称単数 (ego)        -o

2人称単数 (tu)         -as

3人称単数 (is/ea/id)     -at

1人称複数 (nos)        -amus

2人称複数 (vos)        -atis

3人称複数 (ii (ei)/eae/ea)  -ant


アモー、アマース、アマット、アマームス、アマーティス、アマントと経文の様に唱えて覚えます。


https://ja.bab.la/活用/フランス語/aimer

これに対しフランス語の動詞 愛する aimer エメでは


愛する  aimer エメ 直説法現在


 j'       aime

 tu      aimes

il/elle     aime

nous       aimons

vous       aimez

ils/elles  aiment


ジェム、テュエム、イレム(エレム)、ヌゼモン、ヴゼム、イルゼム(エルゼム)

 (主語+動詞で纏めて発音を覚えます)


 語尾が変化しまた発音的にも簡略化が進んでいますがラテン語の基本は遺しています。









 話を元に戻しましょう。

 国内の web 上の英語のサイト、より正確には語学としての英語のサイトに幾つかアクセスしてみたのですが、執筆者がフランス語が出来ないが故に、英語に関する考察が途中で止まってしまい、考察が今一だなぁと感じさせられるものがそこそこ見られました。或る特定の単語の英語での用法が揺れている、どうしてその様な意味、用法が派生したのかを探るに当たり、語源 etymology を探るのですが、それがラテン語起源でフランス語からの借用語であるとまでは判っても、フランス語からラテン語へと自分で直に遡る事が出来ず、そこに第三者のフィルター、詰まり他人の見解が介在することになります。

 動物クリニックの院長コラムで星の王さまの話題を採り上げましたが、フランス語を知らないのに、日本語の「飼いならされた」の言葉についてあれこれ語る者が多く、大変びっくりしました。原文に当たる事が出来ない様では論考としては門前払いに等しく、町内会のご隠居話や只の雑感以上の意味を持ちません。日本語に翻訳された用語であれこれ考えを巡らせてもサン=テグジュペリの思想には到達出来ません。同様に、フランス語起源の英単語をフランス語を知らずにあれこれ論じても、的の外れた、独りよがりの奇妙な考察に陥る危険性があります。

 英語にはフランス語やラテン語からの借用語が非常に沢山あること、そしてそれらが英語では表現出来なかった高度な哲学的、文化的、芸術的、また学術的な概念を英語に与えたことを鑑みると、英語学的なことを追求したい、或いはハイレベルな領域での英語の教養を真に高めたいのであれば、フランス語の習得は寧ろ必須と言えるぐらいではと考えます。勿論、ドイツ語などの他のゲルマン語もその基本を習得出来れば最高ですが。